2023
11.25

〔24〕パティスリーのエリック

クラブメッドサホロ

1991年の冬、たぶん1月頃

クラブメッドでは完全な寮生活で、特殊な環境とは言えませんが、同じ志を持った仲間たちが集まり、異なる考えを抱きつつも、共通の働く価値観を共有しているかもしれません。

職場と寮が同じな事もあり、すぐに仲良くなり、1週間経つと1ヶ月が経ったような感覚が漂っていました。

 

私が勤務していたパティスリーの隣には、バリ島出身の「ポポ」という名前のパン製造スタッフと日本人スタッフがいました。ポポは素晴らしい人柄で、時折流暢な日本語の単語を話すことがあり、思わず日本語で話しかけると「ぽぽちゃんワカラナイネ」と微笑んで、愛らしい顔を見せてくれました。

 

働き始めてしばらくすると、日本人のキッチンスタッフと外国人のキッチンスタッフとの間で対立ややり方の違いによる軋轢があることに気付きました。異なる人種や立場ではあるものの、職人としてのプライドからくる自分のやり方を主張したくて揉めているのだろうと思いました。

 

ここではクラブメッドの外国人スタッフがシェフで、現地採用の私たちはアシスタントの立場。それでも日本でのキッチンスタッフはプロであり、それぞれが異なる責任を感じていることが、衝突の原因となっていたんだろうな。

 

これなんだあの違和感、私がパティスリーに来た時に見たエリックと日本人スタッフが口を聞かなかった理由がここにあった。

 

エリックとパティスリーの仕事はすごく楽しくて、彼はバイヨンヌってフランスだけどだいぶスペイン寄りの方の出身で最後のデザートを出している途中とか盛り上がってくると、私に、「ミチオ、エスパニョール・・・・」ってこれはスペイン語ではこう言うんだって何かを言い出す。はっきり言って何を言ってるのか不明だったが、私がその言葉を真似て言うと発音が違うのか何度もエリックが繰り返し発音してくれる。発音できるようになると「ウイ」って言ってOKが出る。何を言ってるかが解らなかったが不思議と楽しかった。

 

クラブメッドでは、ランチが13時頃に終了し、ディナーは17時頃から始まります。その合間にエリックとスキーに行く事もありました。ゴンドラで上り詰めると、エリックはスピードを落とすことなく数分で下まで降りていくのに、私は必死に追いつこうとする日々でした。

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