2023
12.31

〔59〕三宿で再びパティシエとして

ラテール洋菓子店

1998年の後半頃です、北海道へ移住してお店を出す2年前ごろ。

データベースの会社から一年だけの予定でまた洋菓子店へと働く場所を変わりました。

そのお店は新玉川線の三宿駅から歩いてすぐの所にある「ラテール洋菓子店」です。ラテール洋菓子店で責任者をしていた人が、以前務めていた中村屋での上司の中村さん。一年という約束でここで働く事になりました。

初めての出勤の日。ラテール洋菓子店に来ないかって呼ばれたのは私だけではなくて、やはり以前二子玉川のお店「スーラスール」で一緒だったもう一人の人も呼ばれていました。なのでこの日が初日だったのは私を含めて2人。

お店の製造室に入ると、私たちと入れ替わりに退職するスタッフが2人だったかな?いて約1ヶ月くらいだったろうか引き継ぎを兼ねて一緒に働きました。引き継ぎといってもどっちかと言うと中村さんが責任者だった事もあって出しているお菓子は二子玉川のお店の頃のレシピもたくさんあって、二子玉川のお店では私は製造の責任者をしていたの事もあって割とスムーズだった気がします。

ここで全然違うのはラテール洋菓子店は「ミックブレインセンター」って会社から出しており、ミックブレインセンターはパッケージデザインの会社だけあってお店のデザインからパッケージのデザインまですごく綺麗でチラシ1枚にしても凄かった、普通のお店とはそのあたりが根本的に違っていたと思います。

プロの仕事感が漂っていました。お店に入るとまず目に付くのはギフトを中心とした大きな焼き菓子のケース、その横に控えめに生菓子のケースがあって圧倒的に焼き菓子を中心としたギフトが売れていました。

何にしてもデザインは重要だなぁーって思いました。

今思うと、一年間だけだっらと伝えて入ったのですが、この時はまだ具体的な独立のイメージは無かったと思うんです、一年後に何かが出てくると何故か自分の未来を信じていました。

自分の思う事を形にしてみたいという気持ちがすごく強かった、でもそんな先がわからないイメージに付き合ってくれる会社は無いだろうと、だったら独立して自分の責任において思うようにやってみたいとも思っていました。

ここで働くまではよく分かっていなかったですが「デザイン会社がやってる洋菓子店」なんです。たぶん自分の未来にとってものすごく重要な意味があってここに導かれたんだと思います。

この時すでに、だんだん点と点が繋がろうとしていたんだと思います。

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。