12.28
〔56〕同じ歳の親友
1998年の頃の事
前職のロイズレストランで働いている時に斉藤さんって同じ年齢の友人がいました。彼は同じ会社の「青龍門」って中華料理の方の調理部長でいつもよく飲みに行ったりしていて、斉藤さんのいる「青龍門」は中国から来ている料理人も多くみんな斉藤さんを慕っていたのを憶えています。
ある時みんなで釣りに行こうよと誘われて、多摩川に釣りに行ったんです、私は小さい時に川で釣りをした記憶はありますがほとんど初めてみたいなもので釣竿も斉藤さんが用意してくれてリールの付いている竿で投げ釣りのやり方の見本を「こうやって…と」見せてくれました。
よし、やるかと思って私も投げ釣りに挑戦。その時私の後ろの方に妻がいて私が竿を振りかざして釣ろうとしたら糸は前に進まずなぜか妻の立っていた後ろに飛んでいって引っ掛かったか引っ掛かってないか憶えてないですが、今でも釣りの話になるとたまにその話を出してきます。
スキーも一緒によく一緒に行きました。斉藤さんの彼女はピンちゃんって名前の桂林出身の子で太極拳とかしていたのかなって思える感じですごく体が柔らかくてスキーをしていてもそれは転ぶだろうってシーンも難なくクリア、ピンちゃんちゃんすごーっていつも言ってました!
斉藤さんが彼女と結婚する事になって私も出席、たくさんの人が集まって盛大に結婚式でした。その時にロイズレストランにいた頃の同僚が私の妻と何か話しているののが聞こえたんですが。その元同僚は妻に「突然会社やめたりするし不安じゃないの?」と私の話を言ってて、妻は返事に困ってる様子だったのが鮮明に残っています。
「まぁ普通に考えてもついて来る人は不安だわな」って私も思いますが、妻からそんな事を一言も聞いた事はないです。
でも、働いている会社を辛くて大変でって思って辞めたことはないです。勝手に私の中で思っているのが自分が進む道にその会社があっただからその会社に入った的な感じだったです。
たぶん妻も私が会社で働いている時に家に帰ってきて、すごく嫌そうにいつも愚痴ばっか言って辞めるって言ってたら不安だったと思います。むしろ会社での仕事も家に持ち込んでライフワークのようにやっていたので、自分がやりたい事をやってるんだろうなって信じてくれていたんだと思います。
斉藤さんはその後、独立して池袋でお店も出していたんですが、ある時中国へ渡ってお店を出してました。
ただその何年か後に過労で倒れて突然、他界したんです。
その話を聞いた時は私は北海道にいて全然信じられなくて、葬儀に駆けつけて現実を見るとただただ涙が止まらなかったです。
いろいろあったんだろうな外国でお店を出していたので本当の苦労の部分は誰にも言えなかったのかもたくさんの事を一人で抱えたんだろうか、近くにいてあげれたら少しは話し相手にでもなれたのかなって思います。
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